サービスを受けることで
 薄れる物欲




ワタクシ、
物欲が薄れてきました。

と、言っても、

欲望が薄れたワケではなく、

サービスを受けて
直接「結果」を
買っちゃうことで、

それを自分でする場合に、
その過程で必要であった
「道具」とか
「材料」とか
「物資」とか
そういう「モノ」を
必要としなくなった、
欲しがらなくなった。



むしろ、保有することで
コストが垂れ流しに
なることを
嫌うようになったって
ことですね。

 坊主頭をやめることに




ワタクシ、坊主頭だったんです。
短めの丸刈りね。

床屋さんにいく
お金がもったいないと思って
自分で刈ってたんです。

セルフのバリカンです。

でもですね…
職場っていうか、
周囲っていうか、

オマエの坊主頭って
怖いんだよね。


って、いう…
大多数の貴重な御意見というか、
多数決っていう
民主的な強制力というか、
満場一致の非難を頂いて、

坊主頭をやめざるえなく
なったんです。

ま、床屋さんで
おとなしめに
ヘアスタイルに変えたんです。

結果的に、
印象も良くなったみたいで、
経済的な観点から
目に見えて結果が良くなったので

セルフ坊主頭を
しなくなって、
床屋さんにくことに
価値を見出したんです。

このことで、
セルフのバリカンが
必要なくなった。

バリカンへのコダワリが
なくなった。

バリカンっていう商品に関する
情報に興味が湧かなくなった。

それどころか、
生活必需品であった、
セルフのバリカンを
所持しつづけることに
若干の嫌悪感を抱き、
捨てちゃったんですね。

昔だったら
「まだ使うかもしれない」
って、所持しつづけたかも
しれないです。

 差に気づけるように
 成長した




また使うかもしれないから…

昔はそう思ってました。

それは、
財産の基準が…

「物」だったから。

でも、今は
財産の基準が…

「お金」と「時間」に
なったんですね。

サービスを受けることで
経済的価値が高まるのなら
直接「結果」を買っちゃって
サービスを受ければいいんです。

そうすれば、
道具は必要ない。
材料も必要ない。
保管場所も必要ない。
自分でする必要もない。
維持費を垂れ流す必要もない。

サービスを受けたほうが
手元の現金が多くなるのです。

サービスを利用しないことで
削減できる差額よりも
サービスを受けることで
生み出せる利益のほうが
はるかに重要で、多額なのです。

この違いに
気づけるようになった。
財産の基準を変えることができた
財産の基準の幅を
広げることができた。

お金を増やすって、
どういうこと?

微細な差額を積み重ねる
ことではないよね…

そこを考えられるアタマになった。
そこに気づける知恵が付いた。

その結果、
所持していて、
それなりにコダワリがあった
バリカンを捨てちゃうっていう
行動に至ったのです。

ワタクシは、この一件を
成長したって思ってますね。

 モノを買う基準が
 高まる自分の価値に




かといって、
新しいモノを欲しがらなくなった
というわけではなく…

基準が、物欲っていうより、
それを入手して
生み出す「時間」に
変わりました。

物欲…
ストレートに
欲しいっていう、
ワクワク感より、

時間を生み出すために
必要なんだっていう、
「義務感」に近い感情に
なってしまった傾向は
あります。

モノに対するワクワクは
失ってしまいましたが、

反面、
サービスに対する
期待感とかワクワク感は
高まった気がします。

そのサービスを受けることで
自分の価値をどれだけ
高めることができるのか?
そっちの方向に
期待するようになったんです。

そして、その決断が
早くなり、速やかに
サービスを買っちゃうように
なった…。

迷ってる時間が
自分の価値の上昇を
妨げているのです。
だから、そんな時間は無駄で
浪費なんですね。

同様に、
あるモノが欲しいって
思える時は
速やかに買ってしまうように
なりました。

そのほうが自分の価値が
高まるっていう
直感がスルドくなったっていう
実績が積み上がって
きたからですね。

基準が、
「自分の価値」が高まるのか?
っていう観点に
変わったからだと思います。

貧乏はモノが多いっていう
カラクリと、
お金持ちはモノが少ないっていう
カラクリ。